連載「中部美術縁起:美術を記録する」1〜5(中日新聞金曜夕刊文化面)

中日新聞夕刊文化面で2018年4月6日よりリレー連載「中部美術縁起」が毎週金曜に掲載されています。

  1. 馬場駿吉「名古屋の画廊と現代美術」
  2. 木本文平「美術館事始め」
  3. 拝戸雅彦「表現の現場から」
  4. 栗田秀法「芸術を育む場」
  5. 高橋綾子「公共空間と芸術」
  6. 中山真一「作家と画廊、寄り添う」
  7. 佐藤一信「土と紡ぐ物語」
  8. 笠木日南子・武藤隆・島敦彦・岡本光博・小田原のどか・ホンマエリ(キュンチョメ)・小泉明郎「あいちトリエンナーレ
  9. 副田一穂「美術を記録する」

このうち、私が執筆した「美術を記録する」のテキスト1〜5週分を公開しておきます。これまでの連載のように中部圏のアートシーンを記録するというよりも、その「記録する」ことをそのものをミュージアムがどう扱っているのかについて書いているので、中部感が薄いのが難点ですね。後半6〜10週分は下記別記事。

kasuho.hatenablog.com

1. 「アーカイブ:雑多な資料は宝の山」2020年1月10日掲載

 昨年の四月、改修工事を経た愛知県美術館は、「アイチアートクロニクル1919-2019」という展覧会でリニューアルオープンの幕を切って落とした。コレクションを軸に、近隣館や作家所蔵の作品を加え、その名のとおり愛知県の美術を年代記的にたどる内容である。企画した筆者が注力したのは、画廊や画材店、美術予備校などが発行した小冊子、街頭でのパフォーマンスの記録写真、ポスターやビラ、作家のスクラップブックなどが持つ、膨大な情報を整理することであった。

 従来美術館は、それ単体で美的・歴史的な価値を有し「展示映え」する作品を、第一に収集してきた。たしかに、小冊子やビラそのものに美的な感興をそそられることはまれだ。しかし、優れた名品が名品として機能するのは、誰かが当の作品を取りまく情報を調べ、重要性を裏付けてきたからにほかならない。だからこそ、地域の美術に関する資料はできる限りその地域のミュージアムが収集、整理しておきたい。ただ往々にしてそれは、山積みの段ボール箱にぎっしり詰まっている。一枚の絵を何年もかけて調査することがざらの学芸員にとって、それは宝の山であると同時に、この先膨大な時間を奪うパンドラの箱でもある。

 どこのミュージアムもこういった雑多な資料を抱えているが、その扱いはさまざまだ。「作品」同様に扱う館もあれば、付属の図書館が受け入れる例もある。「作品」とは別に管理する所もあるし、学芸員が個人的に抱えているケースもあるだろう。いずれにしても、資料に含まれる一点一点のアイテムまで整理して情報を公開できている施設は、残念ながら多くない。眠る資料を「アーカイブ」として顕在化させることは、ミュージアムの積年の課題だ。

 アーカイブをめぐる議論は年々活発化しているが、その言葉の指すところは多様だ。単体で美的・歴史的価値を持つ作品からなるコレクションに対する、雑多な資料類というニュアンスで用いられることもあれば、ミュージアムとライブラリーに対する文書館という意味で用いられることもある。作品そのものではなく、その記録写真や制作者、寸法、素材、貸し出しや修理の履歴といった情報のまとまりや、その情報をデジタル化したデータベースを指すこともある。どの用法にも共通しているのは、情報を一定の目的で集積することだ。

 地域のミュージアムにおけるアーカイブの未来について、いくつかの切り口から論じたい。 

 

2. 「何を保存:素材や表現が多様化」2020年1月17日掲載

 ミュージアムの機能のひとつはモノを収集することだ。そして、開館から数十年にわたる収集活動のなかで、その対象となるモノの素材や表現のあり方は避けがたく多様化してきた。

 大阪・中之島国立国際美術館は2018年、プエルトリコ拠点のアーティストデュオ、アローラ&カルサディーラのパフォーマンス作品「Lifespan」(14年制作)をコレクションに加えた。国立のミュージアムがパフォーマンスを収蔵するのは初めてだ。あいちトリエンナーレ2016でも上演された同作は、天井から吊られた小石に向かって三人の演者が息や口笛を吹く作品だが、館に収まるモノは、小石と演技の指示書だけだ。つまり小石の周りで所定の演技がなされれば、演者は誰でも構わない。このようにモノではなく上演等の権利をミュージアムが所有するあり方は、いまや美術表現として一般化した映像作品の収蔵方法にも見られる。ただしそれは、制作者や権利者が存命であることや、ミュージアムで再現可能な場合に限られる。

 一方で、再現を想定していない一回限りのパフォーマンスや、特定の場所でしか実施できないプロジェクトは、そもそも収集の対象から外れてしまう。18年に閉店した名古屋・栄の百貨店丸栄のモザイク壁画のように、歴史的価値が広く認知されていても、そのままのかたちで保存するのが物理的に困難なモノはいくらでもある。また1960年代以降は、前衛的な美術表現そのものが、権威を嫌ってミュージアムの制度や空間から逃れ、大規模化したり非物質化したりするようになった。すると代わりにそれらを記録した写真や文書が価値を帯び始める。このようなモノやその記憶の所有を巡るミュージアムとアーティストの攻防は、新たな形式の作品や収蔵のかたちを生む原動力でもある。

 近年では、当初からデジタルデータとして制作された表現も多い。ミュージアムは、それをハードディスクやDVD等の記録媒体に入れて収蔵する。ただ、作品の要は媒体でもデータそのものでもなく、モニターやプロジェクターを通してわたしたちの目の前に再生される表現のはずだ。絵画や彫刻だけでなく、パフォーマンスやアニメーション、ビデオゲームといった、それぞれに大きく異なる形式を持つ表現がミュージアムのコレクションに入るとき、具体的に何を保存すれば胸を張って「作品を残した」と言えるのか。とりあえずの対応に追われて、表現形式ごとの概念的な整理が十分になされているとは言い難いのが現状だ。 

 

3. 「保存と公開:鑑賞体験 より多様に」2020年1月24日掲載

 車のダッシュボードに飾ったぬいぐるみが、みるみるうちに色あせてしまった。そんな経験はないだろうか。一般に、モノの状態を現状のままとどめようとするならば、光に当てず、周囲の温度や湿度を変化させないのが大原則だ。ということは、ミュージアムがコレクションを展示するたびに、作品は必然的に壊れてゆく。だから学芸員は、その変化ができるだけ緩慢になるように、百年単位で壊れ方をマネジメントする。国が国宝や重要文化財の公開日数を厳しく制限するのも、展示室がいつも薄暗くて、夏は寒く冬は暑く感じられるのもそのためだ。

 ミュージアムの活動の根幹とも言える作品の保存は、モノに何も起きないことが最大の成果だ。何か処置をしなければ早晩壊れてしまう作品には、専門家の知識と予算が要る。幸い中部圏には早くから保存の専門職員を置いている館が、全国的に見ても多い。また愛知県美術館に遺贈された三千件を超える個人コレクション「木村定三コレクション」の中には、調査や保存のためにいただいた寄付金のおかげで、保存処置をして公開できた作品もある。

 一方で、ミュージアムのコレクションは設置者の公私を問わず公共の財産であり、できるだけ市民に開かれるべきだという主張もまた、理念的に正しい。ただ、市民が自由に利用できる公園や図書館の蔵書と違って一点モノという希少性から、やむなく利用を制限しているにすぎない。どのミュージアムも、保存と公開という本質的に相いれないミッションのはざまで、バランスをとりながら活動している。文化財の「活用」という言葉に学芸員が敏感なのは、このバランスが崩れるのを恐れるからだ。

 作品の公開を制限するなら、せめて画像や情報へのアクセスを確保したい。アーカイブ公開に向けた議論の背景には、そんな思いがある。もちろん、鑑賞とはあくまで作品そのものを見ることだという主張には、実物からしか得られない体験や情報がある以上、一定の説得力がある。だがミュージアムへの行きやすさは居住地や所得の多寡、障害の有無などに応じて人それぞれだし、画集やウェブサイトから得られた感動が嘘なわけでもない。3Dプリントをはじめ、保存に気を使わず利用できる複製技術も格段に向上した。

 開かれたミュージアムであろうとするなら、より多様な鑑賞体験をデザインしたい。使える技術はうまく使って、常にその技術がモノの何を写し取り、何を捨てているのかについての検討を欠かさないことが、新たな鑑賞の可能性を引き出す鍵だ。

 

4. 「ウェブサイト:公開情報に館の特色」2020年1月31日掲載

 学生のころ、ある美術家について調べていたときに、全国のミュージアムが所蔵するその美術家の作品をウェブサイトでパッと検索できたらどんなに楽かと、恨めしく思った記憶がある。館をまたいだ横断検索は、図書館では当たり前なのに、ミュージアムではなぜ実現できないのだろうか?

 学芸員になって痛感したのは、作品や資料の情報を記述する項目や方法を統一することの難しさだ。図書館資料の多くは、書名や作者が明らかで、複数冊同じ本が存在することから、統一は比較的容易でメリットも大きい。しかし、ミュージアムが扱う作品や資料は基本的に一点モノで、素材や表現のあり方も多様だ。人文系に限っても歴史、民俗、考古、美術と分野ごとに必要な項目は異なるし、未知の作品であれば名称や作者の同定にも時間がかかる。制作年代や技法、素材などの情報が後に覆ることも珍しくない。それでも国立館を中心に横断検索の実験や記述のモデルづくりがなされてきたが、システム導入のコストや情報処理を専門とする職員の不足が壁となって、全国的にはなかなか普及していない。

 そもそも横断検索以前に、各館がコレクションの目録をウェブで公開しなければ話は始まらない。当然どの館も紙やデータで情報を管理してはいるが、それを公開用に整えることを、時間と予算に加え「完璧主義」が邪魔をする。もちろん館はデータの正確さに一定の責任を負うが、情報は研究の進展にともない常に書き換えられていく。永久に完成に至らないのだから、どこかで割り切って公開することも必要だ。

 公開されたコレクション情報には館の特色も出る。三重県立美術館はコレクションのエックス線写真や学芸員のテキストまで公開し、研究成果の発信にいち早く取り組んできた。愛知県内では、刈谷市美術館は地域作家の略歴や解説が充実しており、豊田市美術館は作品ページで音声ガイドが楽しめる。筆者が勤務する県美術館では著作権保護期間が満了した作品画像を自由に使えるよう公開した。

 もっとも、多くの人がミュージアムのウェブサイトに求めるのは、開館時間や展示作品、混雑具合、交通手段などを手元のスマホで素早く把握できることかもしれない。だが、ミュージアムの楽しみは展覧会だけではない。館に直接足を運べない利用者でもそれぞれのやり方で楽しんで使い倒せるよう、調査研究や保存を含めミュージアムの活動全体のアーカイブを兼ねたウェブサイトが理想だ。

 

5. 「展示品の撮影:許可する流れ広がる」2020年2月7日掲載

 展示室で見つけたお気に入りの作品を撮影することは、いまやミュージアムの楽しみ方のひとつになった。愛知県博物館協会が2017年度に加盟館を対象に実施したアンケート(回答数四十七)によると、来館者による作品の撮影を部分的にでも許可している館は、67%にのぼる。

 撮影の解禁は、スマートフォン時代の新しい傾向なのだろうか?あまり知られていないが、コレクション展に限れば開館当初から撮影を許可している館も意外に多い。国立では国立西洋美術館東京国立博物館など、愛知県内でも豊田市美術館などが、以前から撮影を許可している。

 一方で、他所からの借用品が主となる企画展の多くは、長年撮影を禁じてきた。それでも〇九年に東京・森美術館が「アイ・ウェイウェイ展」で一定の条件下での撮影を解禁したことが話題となり、以降、徐々に企画展でも撮影を限定的に許可するケースが増えてきている。

 そもそもミュージアムはなぜ来館者の撮影を避けたがるのか。まず理由に挙がるのは、来館者と作品の安全確保だ。撮影に夢中になった来館者が他の人や展示物にぶつかる事故は避けたい。三脚や自撮り棒、ドローンの利用禁止も同じ理由による。

 快適な鑑賞環境の確保も理由のひとつだ。フラッシュ撮影は、強い光による作品の劣化の心配もあるが、周りの来館者の鑑賞を著しく妨げるため、禁じるのが通例だ。また、展示室での撮影は混雑を助長し、来館者同士のトラブルにも発展しやすい。

 誤解が多いのは、法律との関係だ。著作権法は、著作権者が複製権を専有する(二一条)としたうえで、私的使用のためであれば複製できる(三〇条)と定める。ちなみに、SNSやブログへの掲載は私的使用とは見なされないため注意が必要だ。撮影の可否を決める根拠は別の権利、たとえば所有権や施設管理権などに求められる。したがって、自館のコレクションの撮影可否はそれぞれのミュージアムが鑑賞環境に合わせて自由に定めているが、企画展では借用品の持ち主の意向に左右されるため、自由には決められない。

 作家や学芸員のなかには、作品は自分の目で味わってこそ鑑賞だという思いも根強い。ただ、そのためにはそれなりの訓練が必要だ。作品の見方や解釈は自由だとしながら、鑑賞のあり方の幅をあえて狭めるのは矛盾する。眼鏡や単眼鏡越しの鑑賞を怒る人はいない。デジカメの画面越しの鑑賞も、ひとつの楽しみ方ではあるだろう。