連載「中部美術縁起:美術を記録する」6〜10(中日新聞金曜夕刊文化面)

中日新聞夕刊文化面の毎週金曜リレー連載「中部美術縁起」のうち、私が執筆した「美術を記録する」のテキスト6〜10週分を公開します。前半1〜5週分は下記別記事。

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6. 「図録と著作権:半永久的に見る装置」2020年2月14日掲載

 観に行った展覧会が当たりだったら、ミュージアムショップで図録を買って、自宅でくつろぎながら反芻する。美術好きには至福のひと時だが、万が一図録を会期中に買いそびれたり、遠方の展覧会で買いに行けなかったりすると、後から入手するのは意外に難しい。郵送販売は手続きが煩雑だし、近所の書店やオンライン書店では大抵図録を扱っていない。

 ミュージアムが発行する図録や紀要のように、一般の商業出版のルートで入手しづらい文献を、図書館情報学の世界では灰色文献と呼ぶ。美麗なカラー図版に研究成果を示す論考、作品のデータや文献リストなどを収めた図録は、展覧会というせいぜい数ヶ月間しか観られないイベントを、半永久的に記録しておく装置でもある。できることなら、より多くの閲覧に供したい。だが館や展覧会によって図録の発行母体はまちまちで、権利関係も複雑だ。

 多くの巡回展図録の発行元は館とマスコミが組む実行委員会だが、会期が終わると解散して財布を閉じてしまうため、続けて売るのが難しい。執筆者の著作権の扱いも曖昧で、結果的にオーファンワークス(著作権者不明の著作物)になってしまうこともある。このような販売形態が戦後長く続いてきたのは、展覧会会場で作品の解説や紹介のために発行する小冊子であれば図版を自由に使えるという著作権法の規定(四七条一項)が、図録にも適用されると一般的に認識されていたからだ。しかし平成に入り、会場を離れても鑑賞に堪える図録は、画集であって小冊子とは言えないという判例が積み上がっている。

 一方で、出版社が発行し、書店で市販される図録も、ここ数年で急激に存在感を増した。在庫さえあればずっと売ることができ、鑑賞者も購入しやすく、図書館でも格段に扱いやすい。流通面では良いことずくめだが、基本的に販売利益が出版社にしか入らないのがミュージアムには痛いところだ。

 図録は学芸員にとって研究成果をかたちに残せる数少ない場である。国立国会図書館への納本はもちろん、他館付属の図書室にもできるだけ並べておきたい。なかでも愛知芸術文化センターのアートライブラリーは、全国でも数少ない一部貸し出し可の美術図書館だ(ただし図録は閲覧のみ)。気になる図録があれば、ぜひ手にとって楽しんでほしい。

 

7. 「デジタル画像:便利な半面、危うさも」2020年2月21日掲載

 ミュージアムでの作品の破損事故はあってはならないが、どれだけ注意を払っても、人が携わる以上完全に防ぐことは難しい。作品を箱から出して広げたり館内を移動させたりするだけでも、モノに応じた適切な取り扱いの知識が要る。保存のことを考えれば、直接触れる時間や回数ができるだけ少ないに越したことはない。だから学芸員は日々の管理や調査の折々に作品の写真を撮影し、部分的にではあるが代わりをさせる。

 たとえば絵画に付着物や絵具の亀裂、剥落などがあれば、その状態を記録して、展示や貸し出しの前後で変化がないか観察する。当然その記録は絵画そのものに書き込むわけにはいかないため、代わりに作品を複製した写真を用いる。肉眼では見えない情報を得るために行う顕微鏡や赤外線、エックス線などを用いた調査も、写真に残しておけば作品に何度も負荷をかけずに済む。展示室や収蔵庫の状況の記録や調査メモまで含めれば、写真は膨大な数にのぼる。図録や印刷物向けの美麗な作品写真はそのごく一部にすぎず、用途や質の異なる写真をすべて整理するのはなかなか難しい。

 これらの写真の多くは基本的に表に出ることはないが、何十年も前に撮影されたものは、それ自体がミュージアムの歴史を紡ぐ資料としての価値を帯びることもある。たとえば筆者が勤務する愛知県美術館の前身、県文化会館の職員らが撮影したと思しき館内のスナップは、すでに失われた作品や建物、展示方法などを今に伝えてくれる貴重な資料だ。

 ひと昔前まで文化財の写真はフィルムカメラでの撮影一択だったが、二〇〇〇年代前半からはデジタル撮影を併用し始めた。その後、デジカメの性能は格段に向上する一方で、フィルムや印画紙は生産中止が相次ぎ、現像所も激減した。いまやデジタルに完全移行する館も多い。

 デジタルの良さは加工やアーカイブ化が容易な点だが、裏を返せばそれが弱点だと考える向きもある。つまり、データの改竄が容易で一度流通し始めたら止められないというわけだ。フィルムやプリントに比べ、データの保存方法が確立していないのも難点だ。しかし、そもそも写真は撮影者の意図という「フィクション」を常に含んでいるものだ。また、インターネット上に拡散したデータは、ある意味では世界各地の利用者が共有して保存しているとも言える。ミュージアムのデジタルデータとの付き合い方の模索は続いている。

 

8. 「ミュージアムSNS:議論通じ鑑賞より良く」2020年2月28日掲載

 ミュージアムの会員制交流サイト(SNS)との付き合い方という点で、成功例として話題に上るのは東京・六本木の森美術館マーケティング戦略だ。インスタグラムやツイッターでの情報発信に加え、来館者に作品の撮影とSNSへの投稿を促し、その写真がさらなる来館者を呼ぶ。その取り組みを詳らかに紹介した書籍『シェアする美術』(翔泳社)の謳い文句は、「なぜSNSでここまで人が集まるのか?」だ。

 なるほど、心血を注いだ企画を一人でも多くの人に見て欲しいと考えるのは当然だ。「インスタ映え」を狙う企画は本末転倒だが、あくまで企画が先立ち広報は後を追うのだから、一見問題はない。しかしそこには危うさもある。

 そもそもミュージアムには、展覧会を通じて伝えたい内容がある。だが作品をSNS用に最適化し、観光資源化してゆくことで、必ずしもシンプルではない当初の企画内容は、いつの間にか多くの人に伝播しやすいインパクトのある写真や短文へと、切り詰められてはいないか。SNSでなくとも、ポスターやチラシには最も見映えする作品を大きくあしらうのが通例だ。ただ、その一点が企画の内容を象徴する一点と常に合致するわけではない。集客のため、と意に添わぬメインビジュアルを採用するとき、学芸員の良心はチクリと痛む。

 ここ数十年で、理想のミュージアム像は少しずつ変化してきた。専門家がコレクションの価値を定めて一方的に提示する「神殿」のような場から、非専門家を含め多様な立場の人々に論争的なトピックの思考材料を提供して議論を促す「フォーラム」のような場への転換だ。SNSを通じた鑑賞者の自由な発信もまた、この理想の実現に寄与するのだろうか。

 ところが、男女格差や表現規制の問題など、まさしく論争的なトピックを多数盛り込んだ昨年の「あいちトリエンナーレ2019」に向けられたのは、素朴な快・不快や居心地のよいナショナリズムをもとにSNSを通じて増幅した、強い嫌悪の感情であった。そのときミュージアムやそこで働く専門家たちは、どのように振る舞うべきだったのだろうか?フォーラムとしてのミュージアムの意義は、相手の意見に耳を傾け、より良い鑑賞を求めて議論することにある。自戒を込めて言えば、議論を妨げる差別的言動や悪意ある解釈に対しては、明確に批判を加える必要があった。それこそがフォーラムにおける専門家の職掌なのだから。

 

9. 「災害とアーカイブ:散逸リスクを軽減」2020年3月6日掲載

 二〇一八年、地域の観光資源としての文化財の活用を促すべく、文化財保護法が改正された。ここで言う文化財とは、形ある文化的所産のうちわが国にとって歴史上、芸術上、または学術上の価値が高いものを指す(なかでも重要なものが国宝や重要文化財に指定される)。同法は、一九四九年の法隆寺金堂壁画焼失を機に翌年制定された。同時に文化財という語も人口に膾炙したが、その概念の骨格は、一八九九年の宮内省下の帝国博物館設置や、翌年東京美術学校岡倉天心が開講した日本美術史講義に象徴されるように、明治維新以降の近代天皇制や国粋主義の形成とともに成っている。これを上からのお仕着せと批判することもできるが、他方、同法により散逸や荒廃の危機を免れた文化財もまた多い。

 さて、文化庁が先の法改正の眼目に「これまで価値付けが明確でなかった未指定を含めた有形・無形の文化財」を挙げたように、文化財の指す範囲は広がっている。一見どこにでもありそうな作品や資料がその地域固有の歴史を反映していることや、モノに宿った家や個人単位の記憶を地域住民が共有するところから地域の文化的アイデンティティの形成が始まることを、阪神大震災東日本大震災といった大規模な災害によってそれらを失うたびに、わたしたちは繰り返し思い知らされる。

 国や自治体の指定品を意味する文化財は原理的に誰もがその価値を認める普遍性を持つのに対し、こうしたボトムアップ文化財は極端に言えばその地域、その人にしか価値を帯びない。それが保存を難しくする。また、被災文化財の救出活動の多くは指定・未指定を問わず対象とするが、生物系標本などの自然史資料は文化財の概念からこぼれ落ちてしまいがちだ。

 自治体の地域防災計画に、具体性を持った文化財保全プランが盛り込まれているケースはまだ少ない。そんななか中部圏のミュージアムは、とりわけ南海トラフ地震を念頭に置きつつ情報共有や相互協力体制の構築を進めている。

 だが、被災したミュージアムへ救援に駆けつけても、館蔵品のリストがなければ救出すべきモノの種類や物量が見積もれない。館蔵品を最もよく知るのは当然その館の学芸員だが、自らも被災すれば無事とは限らない。専門職の任期付き雇用が広がれば、館蔵品への網羅的な知見も早晩期待できなくなる。日頃のアーカイブ整備やデジタル化による情報公開は、ある意味ではそのようなリスクを軽減する手だてでもある。  

 

10. 「ウェブで公開:休館中も存在意義」2020年3月13日掲載

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、全国のミュージアムが催事の中止や臨時休館を余儀なくされている。中部圏も例外ではなく、筆者が勤務する愛知県美術館も、企画展とコレクション展を会期半ばで急遽閉幕せざるを得なかった。小中学校、高校などまでもが軒並み臨時休校となった状況下ではやむを得ない判断とはいえ、感染収束の目処も立たず、再開館の基準もない。休館の影響は、しばらく尾を引きそうだ。

 そんななか、二月二十八日にツイッター上で有志が「#エア博物館」というハッシュタグを作り、ウェブ上でも楽しめるミュージアムのコンテンツの紹介を呼びかけたところ、同日のうちに福岡県立美術館千葉県立中央博物館などが参加して、瞬く間に話題が広まった。ニコニコ動画も休館中のミュージアムを対象に、館内での学芸員による展示解説を生中継する動画配信サービスの制作費を負担すると発表し、第一弾として江戸東京博物館から生中継が行われた。また美術手帖は、ウェブ上で館内やコレクションを閲覧できる休館中のミュージアムを紹介した。愛知県美術館でも、せめてもの楽しみにと、閉幕した小企画「横内賢太郎 CONTACT」展の展示風景写真や配布予定だったリーフレットを、作家の了解を得てウェブで公開した。

 日頃からミュージアムを使い倒す方法を知っているコアな利用者やメディアが、多様な試みを即座に構築し、鑑賞体験を押し広げていってくれたこの動きを、心から嬉しく思う。学芸員は、どうしてもミュージアム利用者を展覧会の鑑賞者として想定してしまいがちだ。利用者も、一般にミュージアムと聞けば展示施設をイメージする。展覧会という大きな職能を一時的とはいえ手放さざるを得ない現状は、それでもなおミュージアムが作品と関わる場を不断に立ち上げておくための、試金石ともなるだろう。

 利用者たちの様々な提案にミュージアムがうまく反応できているとすれば、それは日頃から作品収集や保存、展示、調査研究といった諸活動を、何らかのかたちで情報として集積し、発信してきたからにほかならない。ミュージアムは、コレクションの保管庫としてのアーカイブであると同時に、自らの活動全体のアーカイブも兼ねる。当然のことながら、いずれのアーカイブも欠かさずメンテナンスされ、新しい情報に基づいて書き換えられていかねばならない。アーカイブが息づいていれば、ミュージアムは墓場ではない。